POINT OF DEPARTURE (Blue Note) |
| - Andrew Hill |
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Andrew Hill (p) Kenny Dorham (tp) Eric Dolphy (as,fl,bcl) Joe Henderson (ts) Richard Davis (b) Tonny Williams (ds) 1964/03/31 |
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“こんなところでもドルフィーは咆哮してました!”の最右翼に挙げられるアルバムを2枚挙げるとしたら、1枚はジョージ・ラッセルの『エズ・セティックス』で、もう1枚がアンドリュー・ヒルの『ポイント・オブ・デパーチャー』だろう。 ドルフィーのリーダー作は一通り耳を通した。でも、もっともっとドルフィーの、激しい“ブケッ!”とか“バヒョッ!”とか、“ウネウネウネウネウネ”を味わいたいと思っている人は、彼がサイドマンで参加しているアルバムを聴くしかないわけだ。 じゃあ、何から手を出すか? 出ている枚数の多さからも、チャールズ・ミンガスやジョン・コルトレーンと共演している音源が目につきやすいかもしれない。 ドルフィーは一時期、彼らのグループに加わっていたわけだし、ヨーロッパのツアーにも出ている。 したがって、地元でのライブや放送局での録音音源がたくさん残されており、今後も発掘されて発売される可能性が高い。 だから、必然的にミンガスやコルトレーンのある時期の音源に手が伸びがちになるわけだ。 が、ちょっと待って欲しい。 もちろん、聴くな、買うな、と言っているわけではないよ。 むしろ、ドルフィーがコルトレーンに喰ってかかるスリリングな《ミスター・P.C.》が収録されている『インナー・マン』のように、是非とも耳にして欲しい音源はたくさんある。 しかし、その前に。 ドルフィーらしさが最も出ている、過激、かつ素晴らしいアルバムは、まだまだありまっせ、ということ。 ミンガス、コルトレーンに触手を伸ばす前には、是非とも、先述したジョージ・ラッセルやアンドリュー・ヒルのアルバムでの咆哮を堪能して欲しい、ということです。 ヘタすると自分名義のアルバムよりもアグレッシヴなアプローチをしている箇所すらあるのだから、たまらない。 もちろん、ミンガスやコルトレーンとの共演盤のドルフィーも悪くはないが、役どころとしては、所詮はサイドマンだ。 ミンガス、トレーン。2人とも個性の強いリーダーだし、個性の強いサウンドを表現している。その中で、ドルフィーは、自分の番が来たときだけ、リーダーを喰うほどの勢いのアドリブを繰り広げてはいるが、リーダーの持ち曲と音楽的に噛み合っているかというと、必ずしもそうとは限らないのだ。 むしろ、ドルフィー一人が浮いてしまっていることもある(だから、その対比が面白いといえば面白いのだが…)。 サイドマンとしてのドルフィーのプレイに焦点をあわせて聴きたい場合、興味の無い人のプレイまで長々と付き合ってられっかよ、と思うこともある。 たとえば、《マイ・フェイヴァリット・シングズ》。 ドルフィーのフルート聴くためだけに、コルトレーンとマッコイの長いソロを我慢して聴いてられますか? もちろん、彼らの長ぁいソロの後に登場するドルフィーのフルートは、長い間オアズケされていたご飯にありつくときのような有り難さはあるかもしれないが、よっぽど我慢や放置プレイが好きな人ならともかく、ドルフィーを聴きたいと思っている人には、あまりオススメできない。 ミンガスのグループも同様で、もちろん、ジョニー・コールズやクリフォード・ジョーダンやジャッキー・バイアードのアドリブが悪いというわけでは断じてないが、いや、むしろ良いんだけど、“ドルフィーの音を聴きたい”ときに彼らのソロを我慢して聞き続けるのって、結構苦痛だったりもするのだ。 しかも、どういうわけか、ドルフィーのソロの順番って後半なことが多いし。 ミンガスやコルトレーンのグループにおけるドルフィーのプレイの凄さって、あくまでドルフィー個人の凄さなので、曲自体はドルフィーのプレイスタイルにのっとったテーマでは必ずしもない。 コルトレーンは、バラード吹くときなんかは、ドルフィーに休憩させて、ワンホーン・カルテットで演奏しちゃうこともあるし。 ミンガスのグループでも同様で、あんなに、ブギャブギャと激しくバスクラで咆哮した直後に、何食わぬ顔して、《A列車で行こう》ののどかなテーマに戻ったりでズッコケることもあるし。 もちろん、ドルフィーは譜面にも強かったので、テーマなどのアンサンブルの面においても、安心してまかせられるだけの実力を持っていたからこそ、コルトレーンやミンガスに重用されたわけではあるが。 しかし、彼らリーダーがドルフィーをメンバーにいれてツアーに出た目的は、ドルフィーを入れることによって、まったく新しい音楽をやらかそうということではなく、テーマやキメの部分はキチンと他のメンバーと調和できるアンサンブルをやってもらうかわりに、ソロが回ってきたら、思いっきり自由にプレイしていいよ、ということだったのだと思う。 だから、ドルフィーはあくまでも“違う切り口のソロ奏者”というアクセント的な使い方に過ぎなかったのだ。 ラーメンで言えばコショウやカラシ高菜のような存在。 べつに、豚骨ラーメンに高菜をいれなくても、豚骨ラーメンは食べられる。もちろん、入れたほうが美味いが、別にいれなくても、豚骨ラーメンは豚骨ラーメンとしてのアイデンティティを損なうわけではない。 豚骨ラーメンにとってのアイデンティティは、言うまでも無く豚の骨から取るスープ。 残念ながら、ミンガス・グループにおける豚骨スープはダニー・リッチモンドだったし、コルトレーンにとってはエルヴィンのドラム、次いで、マッコイのピアノだった。 ドルフィーがいなくても、彼らがいれば、豚骨ラーメン、いや、グループサウンドとしてのアイデンティティは保てるが、ドルフィーがいて、エルヴィンが抜ければコルトレーングループのサウンドアイデンティティは損なってしまうのだ。 だから、ドルフィーはいらなかった、というわけではない。 ドルフィーが抜けた彼らの音楽を聴いても分かるとおり、“いなくてもグループのサウンドは成立している”ということなのだ。 刺激的なプレイをすることで、サイドメン、いや、リーダー自身を奮い立たせる効果は十二分にあったし、実際、ミンガスもトレーンもそのような効果を狙っていた節はある。晩年のコルトレーンがもう1人のテナー奏者ファラオ・サンダースを雇ったように。 だとすると、彼らの目論見にドルフィーは応えていることは言うまでもない。 どちらかというと、結果論だが、グループの心臓や骨というよりは“客演者”という見え方が一番近いと思う。 だから、出番は遅く、アドリブをする時間は短い中、精一杯自己表現をしたミンガスやコルトレーンの諸作も悪くはないが、もっと、ドルフィーのプレイと曲の気分が一致した曲を聴きたいと思うのは人情だろう。 もちろん、スタンダードで咆哮するドルフィーも捨てがたいが、ドルフィーのプレイスタイルには、ドルフィーのオリジナルか、もしくは、彼のプレイスタイルに見合った曲こそが生きてくるのだ。 そうすると、やっぱり、アンドリュー・ヒルの『ポイント・オブ・デパーチャー』ということになってくる。 このアルバム、もちろん、ヒルがリーダーだし、曲はヒルのオリジナルで固められてはいるが、どういうわけか、ドルフィーのために書かれた曲のようにすら聴こえる。 スタンダード的なコードやメロディの曲が無いからかもしれない。 新しい作風の曲が多いからかもしれない。 よって、ドルフィー好きにとっては、ドルフィーが裏リーダーで、曲もドルフィーが書いた、もしくはドルフィーのために書かれたように聴こえてしまうのだ。 それぐらい、特異な雰囲気にまみれた曲ばかりで固められている上に、パーソネルも、当時の新主流派の代表選手というべきメンバーたちなのだ。 ドルフィーのスタイルを十全に行かせるお膳立ては充分に整っていた。 トニー・ウイリアムスは、ひと月ほど前の『アウト・トゥ・ランチ』のレコーディングでも共演しているドラマーで、ただリズムを刻むだけではなく、知的に構築的なリズムを組み立てるし、ベースのリチャード・デイヴィスはファイブ・スポットでも共演した仲。 当時頭角を現してきたジョー・ヘンダーソンは、ドルフィーとはスタイルが違うものの、アブストラクトなフレーズを黒いトグロを巻きながらブロブロと吹きまくるスタイルの持ち主という意味では、ドルフィーとはバランスの取れたスタイルのサックス奏者と言える。 唯一、ケニー・ドーハムは新主流派世代よりは、上の世代に属する人だが、なかなかどうして、彼の音色やフレーズって、新主流派の複雑なサウンドにもスッと溶け込むような柔軟性があるのだ。 彼は、自作の《ブルー・ボサ》を手土産に、ジョーヘンをブルーノートからデビューさせた功労者だということを忘れてはならない。 私はここでのケニーのラッパを聴くと、一瞬ファイヴスポットのブッカー・リトルが蘇ったんじゃないかと錯覚してしまうほどだ。 さすが、年長者の貫禄とでも言うべきか、3人のホーン奏者の中では、一番曲の中にうまく溶け込むアドリヴを展開しているとすら思ってしまう。 で、ピアノはヒルだが、もう相性ばっちり。 ドルフィーのプレイスタイルに似合うピアニストって、ファイヴスポットの ときのマル・ウォルドロンや、『ラスト・デイト』のときのミシャ・メンゲルベルクのように、重くてドンヨりしたスタイルのピアニストが似合っていると思うのだが、ヒルのピアノも文句なし。先述した2名のピアノにさらに輪をかけてドンヨリとしている。 おまけに、重たく、黒々としているし、自作曲とピアノの雰囲気がピッタリとマッチしているのだ。 『ポイント・オブ・デパーチャー』。 邦題で『離心点』と訳されていた書物も見たことがあるが、なかなか含みのあるタイトルだ。 1曲目のタイトル曲からして、独特のムード。 不穏な空気感が最初の数秒から放たれる。 トニーのスピード感のあるシンバルワークも健在。一瞬、ショーターやハンコックが参加していた時期のマイルスバンドかと錯覚してしまうほど。 先発してソロを取るリーダーのヒル。彼についで登場するドルフィーの咆哮は、まさに「おおお、きたぁ!」と叫びながら拳を握りしめてしまいそう。 しかも激しいだけではなく、曲のトーンがドルフィーのプレイとピッタリマッチしているところがミソ。 ミンガスの曲にも、コルトレーンの曲にも、こんなにもドルフィーのスタイルを活かせる曲は無かったのではないだろうか。 もうこの1曲だけで“買い”な内容だが、もう一つ、素晴らしい演奏の曲がある。 《デディケーションズ》だ。 このアルバムが好きな人は、《デディケーションズ》があるゆえに好きだと いう人が多い。 これを聴くたびに涙がこぼれるという人すらいた。 ノスタルジックかつ不穏な空気を常にはらんだスローテンポの曲だ。このミステリアスかつ絶望的な曲のムードは、靄のかかったアンドリュー・ヒルのピアノの独壇場。さらに、ドルフィーの不気味美しいバスクラリネットの音色が、現在と過去を行き来するような、時間の揺れを表現している。 リズム、というよりは、正しく効果音な絶妙なドラミングを展開させるトニーも素晴らしい。 とにかく、このアルバムはヒルはもちろんだが、ドルフィーを楽しむためにあるアルバムだと言っても過言ではないほど。 ブッカー・リトルとの双頭バンドは、ファイヴ・スポットでのライブの後、リトルの死によって解散。 ケニー・ドーハム、マル・ウォルドロンの後釜としてアンドリュー・ヒルが参加。ベースはそのまま残り、エド・ブラックウェルとは違うスタイルを求めて、ドルフィーはトニー・ウイリアムスを雇った。 そして、最初にこのグループでブルーノートに吹き込んだアルバムがコレ。 …というのは、もちろんウソだけれども、そういうストーリーを夢想してしまうほどのサウンドなのです。 いいですよ〜。 |
| (2004/10/13) |
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