LUSH LIFE (Verve) |
| - Joe Henderson |
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Joe Henderson (ts) Wynton Marsalis (tp) Stephen Scott (p) Christian McBride (b) Gregory Hutcherson (ds) 1991/09/03,06,08 |
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だいぶ前だが、一時期、あるジャズ喫茶に通い詰めだったことがある。 駅から徒歩で3分ほどの場所。風俗店が立ち並び、小便臭くて狭い路地。 この、いかにもイカガワし気な風俗街の真っ只中にあるこのジャズ喫茶は、夜になっても客は数えるほどしかいない。 私がその店に入り浸るのは、仕事帰りの夜の8時頃から11時頃の閉店の時間まで。 大学の後輩が一人でウエイターとレコード係をやっている時間帯だ。 客がほとんどいない上に、オーナーは滅多に店にやってこないので、私はレコード室に入り、様々なレコードを物色したり、聴きたいアルバムを好き勝手にかけていた。 客は滅多に店にやってこないし、やってきたとしても、ビールかコーヒーを出して終わり。ヒマと言えばかなりヒマな「店番」だ。 あとは、スピーカーから大音量で流れてくるジャズに身を浸す以外には、何もすることがない。まぁジャズ好きにとっては、安い時給とはいえ、仕事量が少なく、ジャズをたっぷりと浴びるように聴けるという点では、非常においしいバイトには違いないのだが。 で、この常にヒマなアルバイトをしている後輩にとっての私は、格好な世間話の相手だったようで、店に顔を出すと喜んでカウンターの中に入れてくれた。 ほとんどやることの無いこの仕事だが、時々、後輩が躍起になってすることが一つだけあった。 ある客が来たら店から追い出すことだ。 その追い出す客というのは、週に1〜2回のペースでやってくるという、オバサンだ。 いや、オバサンかどうかまでは分からないのだが。 なにしろジャズ喫茶全般にいえることだが、店内の照明が極度に暗いために、若いのだか年をとっているのかがよく分からない。 顔が真っ白になるぐらいの濃い化粧をし、若作りなファッションをした女性だが、漂う萎びた雰囲気は、少なくとも、20代、30代ではない。40代、いや、ひょっとしたら、50代にさしかかっているのかもしれない。 まぁ年はどうでも良いのだけど、このオバサン(?)、どうやら客引きらしく、店の近所にラブホテルがあるので、店内の客に片っ端から声をかけて(といっても2〜3人しかいないのだが)、近所のホテルに連れ込んでいるらしい。 いわゆる売春だ。 こんな妙な雰囲気のオバサンに引っ掛かる男がいるのかよ? と思ったのだが、後輩の話によると、実際に引っ掛かるオジサンもいるようなのだ。 このオバサンが店を出た数分後に、追うように店を出ていったオジサンも何人かいたそうなのだから。 音楽を聴かせて、コーヒーやビールを飲ませる店の中での客引き。 しかも売春のために客に声をかけるような行為は許されるざることだ。 なので、このオバサンが来て客に声をかけようとするたびに、後輩はいきり立ってそのオバサンを制して店から追い出そうとしていた。 このオバサン、もちろん、店にやってきていきなり客に声をかけるというわけではない。レコードの片面が終わるぐらいの時間はじっと席に座っている。 だが、後輩が次のレコードをかけようとレコード室に入ったり、レジでお勘定をしている間や、トイレに立った隙を見計らって客にモーションをかけるのだそうだ。 で、商談が成立すると、先にオバサンがレジでお会計をし、5分ぐらい後に男の客が会計を済ませて店を出てゆく。きっと、店の外でオバさんは出てくる客を待っているのだろう。 その後は……。 まあご想像どおりなんだと思うけど。 ある日のこと、そのオバサンが客に声をかけている場面に出くわした。 後輩は、大きな声で、「あなたねぇ、そう何度も何度も同じこと……」とオバサンに説教して追い出そうとしたら、 「じゃぁ、ジョーヘンかけてちょうだい!」 というオバサンの声が聴こえた。 うーん、声のトーンから判断するに、これは相当にお年を召された方に違いない。やっぱりオバサンだ……。 「私、ジョー・ヘン大好きなの! ジョー・ヘンだったら何でもいいから!」 弱りきった顔で、後輩が「先輩ぃ〜、ジョー・ヘン、何でもいいからかけてくれですって、何かけりゃいいんでしょうね〜?」と私に尋ねてきた。 この後輩、ジャズ喫茶でバイトしているわりには、あまりジャズには詳しくないのだ。だからこそ、「ジャズに詳しくなるため」にジャズ喫茶でバイトをしているわけだが。 しかし、かくいう私自身も、ジョー・ヘン参加のアルバムにはあまり詳しくなかった。というより、後述するが、ジョー・ヘンダーソンというサックス奏者の持ち味の良さがよく理解出来ていなかったし、なんだか今ひとつパッとしない地味なテナー・サックス奏者だとすら思っていた。 だが、例外として《パッション・ダンス》という曲の演奏に限っては、分かりやすい上に、好きな演奏だったので、ブルーノートのマッコイ・タイナーのリーダーアルバム『リアル・マッコイ』のA面を後輩にかけさせた。 その時のオバサン、店内が暗かったので表情はよく見えなかっが、巨大なスピーカーの前の席で嬉しそうに首を振りながら、《パッション・ダンス》に夢中になっていたような気がする。 うーむ、それにしても、ジョー・ヘンが好きな売春婦のオバサンねぇ……。 コルトレーンでもなく、ビル・エヴァンスでもなく、ましてやキース・ジャレットでもない。 ジョー・ヘンダーソンを売春婦のオバサンがリクエストし、スピーカーの前で本当に嬉しそうに演奏にひたっている……。 ビールを一気に飲み干した私は、意味もなく「う〜む、何だか人生、ものすごく深いものがあるのだなぁ〜」と腕を組んで深く溜息をついた。 そんな私のことを後輩は理解不能な眼差しで見ていたに違いない。 この時の私の気持ちは、ジャズを知らない人には絶対ニュアンスは伝わらないだろう。 いや、たとえジャズに詳しい人でも、こんな感慨深く不可思議な気分になってしまう私の気分は理解しがたいのかもしれない。 とにかく、その時は、なんだかとてつもなく人生の侘び寂びを意味もなく感じていたのだ(笑)。 ジョー・ヘンダーソンは通好みのサックス奏者だ。 当時の私は、そう思っていたし、今でもその考えに変わりはない。 彼は60年代の初期に、「新主流派」と称される新人たちが続々と登場した時期のテナーでは群を抜く筆頭格だった。一時期はコルトレーン亡き後のジャズ界を担うテナーの星として期待されたこともあったようだ。 だが、なんというか「華」の要素が少なく、実力のわりには、突き抜けてリスナーの胸を打つ何かが欠けているような感じのするテナーサックス奏者というイメージが当時の私にはあった。 デビュー・アルバムの『ページ・ワン』というアルバムのジャケットでこそ、若くて渋いスーツの着こなしをしているジョー・ヘンの勇姿を拝むことが出来るのだが、それ以降のジャズ関係の書籍・雑誌に掲載されている彼のポートレイトや、何枚かのリーダー作のジャケットで拝むことの出来る彼の写真は、なんというか、気が弱くて押しも弱い、詐欺にあえばコロッと騙されてしまいそうな根っからの頼りない善人面。 知的な風貌なことには間違いは無いのだけれど、ヘンな喩えだが「押しの弱いロン・カーター」的な風貌。 で、彼の奏でるテナーの音色は「ふがふが」「ほげほげ」としていて、フレーズも抽象的で茫洋として捉えがたいような気がする。 もちろん、当時の「新主流派」による演奏も曲のスタイルも抽象的で浮遊感漂うものが多かったせいもあるので、ある意味、ジョー・ヘンのテナーの演奏スタイルは時代にマッチしたテイストだったのだろう。 それにしても、何というか、激しい曲も一生懸命無理して熱くなっているような感じがしないでもない。そうした時の彼のフレーズも音色も、なんとなくブッカー・アービンに似ていなくもなく、その上、ブッカー・アーヴィンほど分かりやすいキメになるような必殺フレーズに乏しい気がしてならなかった(当時の私は、ですよ)。 また、ジャズだけでは食えなかった時期には、ほんの一時期だったが「ブラッド・スェット・アンド・ティアーズ」にも在籍したこともあり、生活のためとはいえ、一時期はコルトレーン派のテナーサックス奏者の筆頭格と言われた男にしては、意外と節奏ないのかな? とも私は思っていた。 新主流派のジャズは60年代のブルー・ノートに多くのレコーディングが残っている。その中でもジョー・ヘンの参加したレコーディングも多い。 当時の、「あのサウンド」の中では代表格的なテナー奏者なことは間違いが無いのだろうけど、たとえば同じ時期の同じテナーといえば、ウエイン・ショーターの方が、存在感といい、話題性といい、一枚上手なんじゃないのかな?と個人的には思っていた。 しかし、このケニー・ドーハムにも通ずる拉げた感じがたまらなくジャズな感じもするし、だからこそ、このような面までをも含めてジョー・ヘンを好くようなジャズファンは、相当ジョー・ヘンに、いや、ジャズに愛のある人に違いないし、ジャズの酸いも甘いも噛み分けた人間なのだろう、という先入観が働いてしまう。 もしかしたら「ジョー・ヘン」という名前は、そのオバちゃんにとっては、単なる聞きかじりだったのかもしれないが、それでも、女性でジョー・ヘンを好きだという人にはお目にかかったことがないし、もしかしたら、実はスゴくセンスが良くてカッコイイ人なのかな? とほんの少しだけ思ってしまったり。 このオバチャン、若い頃は相当なキレものでクールビューティな美人だったのでは? だからこそ、オヤジたちはコロッと参ってしまうのかな?などと、あらぬ想像も巡らせた。 以上のような話を、あるデザイン会社のジャズ好きの社長にしてみたら(現在は会社をたたんでジャズ喫茶のマスターに転身してしまった)、 「甘い!ジョー・ヘンは本当に素晴らしいサックス奏者です! 良いアルバムもたくさんあります。」と言い、「このインヴィテーションを吹くジョー・ヘンなんか最高ですよ、騙されたと思って聴いてみてくださいよ。」と、『テトラゴン』(マイルストーン)というアルバムを翌日、私にくださった。 早速、帰宅して深夜にボリュームを落として聴いてみた。 《インビテーション》のような有名曲を演奏しているジョー・ヘンって、そういえばあまり聴いたことがないな。 丁寧にアドリブを展開させていて、なかなか良いではないか。 もっとも、私の耳を奪ったのは、ジョー・ヘンのサックスそのものよりも、ピアノのドン・フリードマンのプレイだが。 ドン・フリードマンとジョー・ヘンの共演って、珍しいというか異色な感じもするが、これがまた実に良いのだ。 私はドン・フリードマンの有名なアルバム『サークル・ワルツ』に収録されている《シーズ・ブリーズ》という曲の演奏がとても好きで、アップ・テンポをイーブンな水平アプローチで弾くフリードマンのソロにいつも涙が出てしまうほど感銘してしまうのだ。 何故だか理由はよく分からないが、淡々と均等な譜割りの8分音符をすいすいと疾走してゆくフリードマンのピアノを聴いていると、微妙な、本当に微妙な抑揚がアドリブ・ラインにつけられていて、それが彼のつむぎだすフレーズと共に、聴き手の情感を小刻みに揺さぶるのだろうか。懐かしさと悲しさとはかなさといった感情が同時にわき起こってきてしまうのだ。 そう感じるのは私だけなのかもしれないが、とにかく私の涙腺の緩いところを突きまくりなドン・フリードマンのプレイを堪能出来る曲がいくつかあったので、この『テトラゴン』というアルバムは気に入った。 ジョー・ヘンのプレイそのものよりも、サイドマンのプレイに引き込まれてしまったわけだが、まぁ、こういうことって、ジャズを聴いているとよくあることだ。 『テトラゴン』どうでした? 早速翌日に尋ねられたので、 「良かったです、とっても気に入りました。」と応えた。 もっとも心の中では「ジョー・ヘンが気に入ったのではなくて、ドン・フリードマンのピアノが気に入ったんですけどね」と付け加えたのだが、とてもジョー・ヘンを気に入ってもらいたいがためにCDをくれた方相手に、そのような言い方は失礼なので、口に出して言えようハズもない。 それに、誰のプレイを気に入ろうが、いただいたアルバムを気に入ったことには変わりはないのだ。「気に入った」という言葉に嘘・偽りはない。 「そうでしょう、そうでしょう。」 彼は嬉しそうな笑みを浮かべた。 そして、 「そんなことだろうと思って、じゃあ、次はこのアルバムをあげます。聴いてくださいね。」 と、今度は、『ラッシュ・ライフ』というアルバムを私にくださった。 最近のレコーディングも聴いてみて下さいよ、という意図のようだ。 91年録音で、スタジオでのリーダー作では12年ぶりの作品だという。 タイトルから分かるように、《ラッシュ・ライフ》という曲は、デューク・エリントン楽団の作曲家兼ピアニストのビリー・ストレイホーンの作品だ。 そう、このアルバムはビリー・ストレイホーンの作品集なのだ。 ビリー・ストレイホーンの曲想と、ジョー・ヘンのテナーって相性良いのかな? と、あまり期待せずに聴いてみたのだが、予想を裏切られた。 とても良いではないか!気に入った!ハマった! ジョー・ヘンのリーダー作で手放しに「良い!気に入った!もう大好き!」となったのはこのアルバムが初めてだ。 一曲目の《イスファン》は、ベーシスト、クリスチャン・マクブライトとのデュオだ。 マクブライトの、「ここでこう弾いて欲しい!」という聴き手の要望を、そのまま叶えてくれるような、ある意味分かりやすく心地の良いベースにのっかって、ふわっと肩の力の抜けたテナーを聴かせてくれるジョー・ヘンを聴いて、「おや?」と思うと同時に、強烈なこのアルバムに引っ張り込まれてしまった。 まったく力んでいないのだ。ふわっとした余裕のあるプレイが、今までの私の先入観を吹き飛ばすに十分だった。 2曲目の《ジョニー・カム・レイトリー》はトランペッターのウイントン・マルサリスが共演している。 「あのウイントンも参加!」という鳴り物入りなアルバムのわりには、あまりウイントンのトランペットが耳にも心にも残らない。ただ無難に自分の任務を淡々と遂行しました、てな風情だ。 それに比較すると、ジョー・ヘンのテナーソロのほうが断然良い。 地味ながらも、着実にフレーズを積み上げてゆく。構成もなかなか緻密で丁寧だ。 少しずつジワジワと情感を積み上げてゆく、そんなソロの姿勢に好感を持った。 バラードの『ブラッド・カウント』のハッタリの無い誠実なプレイも良い。 ラテン・タッチのリズムにのって、ジョー・ヘンにしては(失礼!)逞しく安定した低音で余裕のプレイを聴かせる《レイン・チェック》。バリバリ弾きまくるマクブライトのベースソロも良い。 ピアノとデュオの《ロータス・ブロッサム》。 シンミリと、幻想的な雰囲気でアルバムの中盤にこのような演奏があると非常に流れとして気持が良い上に、飽きない。 同じくスローテンポの《ア・フラワー・イズ・ア・ラブサム・シング》。これはクインテットでの演奏。 こちらのウイントンは、なかなか抑制を効かせた良い按配なテーマのリードを取っている。曲自体が良いので、ついつい引き込まれてしまう。 有名曲、《A列車で行こう》は、ドラムとデュオだ。 テナー・サックスとドラムのデュオといえば、ソニー・ロリンズの《飾りのついた四輪馬車》をどうしても思い出してしまい、なおかつ無意識に比較してしまうのだが、こちらのデュオはロリンズの演奏と比較されると、知的に抑制された味わいが感じられる。だからといって、ダイナミックレンジが狭いというわけではない。少しずつ、少しずつ、じわじわと演奏が盛り上げていく。 そう、ようやく気が付いたのだが、ジョー・ヘンは少しずつ少しずつ、丁寧にフレーズを積み重ねながらジワジワと演奏を盛り上げてゆくタイプのジャズマンなんだな。 ガーッとやってドバーッといくような演奏じゃないと満足出来なかった昔の私には気がつきようもない持ち味こそがジョー・ヘンの最大の魅力だったのだ。 ドラムが抜けて、ベースとピアノのトリオで演奏される《ドロウイング・ルーム・ブルース》はなかなかリラックスした雰囲気の演奏だ。カウンターで軽い会話を楽しみながら、スコッチのグラスを傾けながら、ホロ酔い加減の良い気分になって聴き流したいような演奏。いけない、いけない、この曲のシチュエーションが似合う趣味の良いバーの風景が5つぐらい浮かんできた。で、それらのバーのカウンターで猛烈に呑みたくなってきたぞ。 再びウイントンが参加したクインテット編成の演奏となる《U.M.M.G.》に続き、ラストの《ラッシュ・ライフ》はテナーのソロ演奏だ。 《ラッシュ・ライフ》というと、同じテナーのコルトレーンの演奏を思い浮かべてしまうが、コルトレーンの 「わ・た・し・は・バッ・ラッ・ァァッ・ドッ・を・吹いて・いますっ!!」 といった、“いかにも”なバラードよりは、かなり抑制されて素っ気ないほど淡々とした演奏だ。 だが、そこがまた良いのだ。 曲自体がとても良いメロディの曲なので「いかにも!」なアプローチをすると、いくらでも「いかにも!」な感じになってしまう。 とにかく、ジョー・ヘンの『ラッシュ・ライフ』は、全く退屈することなく10曲を通しで何度も聴き込んでしまうだけの高いクオリティのアルバムだ。 曲ごとに演奏のフォーマットを変え、多面的に様々な角度からビリー・ストレイホーンの曲を料理してみせる、というのが恐らくプロデューサーのアイディアなのだろうが、私にとっては、様々な角度からジョー・ヘンの持ち味を照らし出してくれたアルバムとなった。 今までは、何となくアカ抜けなくて、分かりづらいことを「ふがふが、もごもご」とやっているテナーサックス奏者、という思いこみを完全に払拭出来なかったのだが、このアルバムを聴いて、初めてジョー・ヘンの良さや持ち味が、すいすいと気持よく理解することが出来た。 こんがらがった糸が何かの拍子に一気にほどけたような気分だ。 ジョー・ヘンの良さや持ち味が分かってくると、今まで聴いてきたジョー・ヘンのアルバムも、「そうか! 彼はこう吹きたかったんだ!」「なるほど、ジョー・ヘンの音楽的意図はこういうところにあったのかもしれないな」と、思い当たることも多く、一気に愛着が湧いてきた。 と、同時に、ようやくジョー・ヘンの良さに開眼した私だが、ジャズ喫茶で客引きをしていたオバちゃんは、とっくに昔からジョー・ヘンの良さに気が付いていた可能性もあるわけだから、うーむ、やっぱり人生は深いなぁ、と再びビールをグイ呑みして溜め息をつかざるを得ない。 ジョー・ヘンの良さに目覚め、よーし、これからは、色々とジョー・ヘンを聴きあさってやろう! と思った矢先、本当にそう思った翌日のことなのだが、新聞の朝刊を読んで唖然としてしまった。 ジョー・ヘンダーソン死去。6月30日に、サンフランシスコにて心不全のため。享年64。 謹んで冥福をお祈りいたします……。 あなたのテナーサックスの良さが中々理解出来なかった私の耳がタコでした。まぎれもなく、あなたはテナーの巨人です。 そして、あなたは素晴らしいテナー・サックス奏者でした……。 |
| (2002/06/29) (2009/12/12 加筆修正) |
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