BIRDLAND 1951 (Blue Note) |
| - Miles Davis |
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Miles Davis (tp) J.J.Johnson (tb) #1-7 Sonny Rollins (ts) #1-7 Eddie "Lockjaw" Davis (ts) #8-10 Big Nick Nicholas #8-10 Jackie McLean (as) Kenny Drew (p)#1-7 Billy Taylor (p) #8-10 Tommy Potter (b) #1-7 Charles Mingus (b) #8-10 Art Blakey (ds) 1951/02/17 #4-7 1951/06/02 #1-3 1951/09/29 #8-10 |
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マイルス・デイヴィスは、ことさらドラムにこだわっていたことは有名な話。 自伝を紐解いても、トランペッターにとって、いかにドラマーの存在が重要なのかを説いている。 グループにトニー・ウィリアムスが加入した時も、マイルスは、トニーの若い勢いに追いつこうとしてミストーンを発してしまうこともあったが、「これではイカン」と思ったのだろう、しばらくサボっていた練習を再開するようになったという。 また、復帰後のマイルスは自分のバンドに、甥のヴィンス・ウィルバーンを迎え入れたが、リズムが遅れるからという理由でクビにしている。 甥の母親、つまりマイルスの姉が息子の晴れ舞台を楽しみにしてたシカゴ公演の目前のタイミングでクビにしたマイルスは、姉から「クビにするなら、せめてシカゴの公演を終えてからにしてほしい」と懇願されたにもかかわらず、その願いは聞き入れず、たとえ甥であろうとも、ドラミングに納得がいかなければ容赦なくクビにしている。 このことからも、マイルスはいかにドラマーのエネルギーを自らのエネルギーとし、ドラマーのプレイには厳しい眼差しとコダワリを持っていたかが分かる。 マイルスの音楽は様々な形にスタイルを変えていったが、その影にはドラマーがいつもいたといても過言ではない。 1950年代初頭、マイルスにとって最良のドラマーは、アート・ブレイキーだった。 ブレイキーの力強いドラミングが、マイルスのトランペットのエンジンとなり、時にマイルスを鼓舞する気付け薬となっていたことは、ブルーノートのリーダー作2枚と、プレスティッジの『ディグ』、そして、この『バードランド1951』を聴けばよくわかる。 このライブの同年に録音された『ディグ』、ならびに、翌年の52年から54年の間、3回に分けて録音されたブルーノートのリーダー作を聴けば分かるとおり、とにかくこの時期のマイルスのトランペットの音色には、まるでセットのようにブレイキーのダイナミックなシンバルな音がくっついている。 からこれはもうアート・ブレイキーの豪快なドラムを味わうためのアルバムといっても過言ではない。 この時期のマイルスを焚きつけ、挑発し、ノセまくれるドラマーは、まさにアート・ブレイキーが適任だった。 ブレイキーの熱いドラミングと、マイルスの重くつや消しトーンのラッパ。 下手なプレイをしたら、後ろからスティックを投げ飛ばすぞといわんばかりに、ブレイキーはマイルスを煽る煽る。 《ムーヴ》など、当時のバップテューンが、異常なまでの迫力と熱気で封印されているのが『バードランド1951』なのだ。 1951年に、マイルスがバードランドで繰り広げた3回のライブを収録したもの。ラジオ放送用に録音されたものが音源だ。 これらの音源は、長らくフレッシュサウンドの『バード・ランド・デイズ・フィーチャリング・スタン・ゲッツ』として発売されていた。 しかし、2004年に、ブルーノートが『〜フィーチャリング・スタン・ゲッツ』の中からゲッツが参加している50年の演奏を取り除き、『〜フィーチャリング・スタン・ゲッツ』には収録されていなかった数曲を加えてリマスタリングを施して、装い新たに発売した。 前年のゲッツ参加の音源はないものの、「51年のマイルス」を知るためのドキュメントとしては、貴重かつまとまりの良い内容となっている。 音質は、良いとはいえない。 特に《ハーフ・ネルソン》の前半などは、ヒスノイズのほうが演奏の音よりも目立つほど。 しかし、そんなことは気にならないほどの充実した演奏内容なのだ。 特に、バド・パウエル作曲の《テンパス・フュージット》が素晴らしい。 俺達には今日しかない。いや、今しかないんだという尋常ならざる切迫感をもってブレイキーのドラムがマイルスを焚きつける。さあ今しかないぞ、今しかないぞ、と。 バド・パウエルのピアノについてゆくマックス・ローチのドラミングも悪くはないが、ドラムだけに関していえば、「光陰矢のごとし」な《テンパス・フュージット》という曲にもっとも似合うドラマーはアート・ブレイキーなんじゃないかと思う。 スリリングで、ヤバいぐらいに熱い演奏が繰り広げられていた1951年のバードランド。 このテンション、この熱気が、同年の『ディグ』に封じ込められ、翌年のブルーノートへのレコーディングに繋がってゆくのだ。 この時期のこれらの音源を聴くと、アート・ブレイキーというドラマーは、当時のマイルスにとってはなくてはならない起爆剤だったのだということがよく分かる。 |
| (2009/10/22) |
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