BALLADS (Impulse) |
| - John Coltrane |
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John Coltrane (ss,ts) McCoy Tyner (p) Jimmy Garrison (b) Elvin Johns (ds) 1961/12/21 #7 1962/09/18 #6,8 1962/11/13 #1-5 |
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以前、高音質デジタルラジオ・ミュージックバードにて放送されている人気番組「寺島靖国のPCMジャズ喫茶」の公開収録を見学したことがある。 場所は、秋葉原にあるハイデンド・オーディオ専門店。石丸電気「レフィーノ アンド アネーロ」の特設会場だ。 このお店の2F・特設会場で、ホストの寺島靖国氏をはじめ、レギュラー出演の岩浪洋三氏や、日本オーディオ協会前事務局長の長澤祥氏らが加わり、2時間の番組が収録される模様を楽しく見学できた。 番組中では、新旧のジャズを含め様々なジャズがかかったが、その中で、私が「いいなぁ」と感じたのは、見学のお客さんが持ってきたジョン・コルトレーンの『バラード』の“デラックス・エディション”と、シドニー・ベシェの《サマータイム》だった。 ベシェの《サマータイム》はともかく、コルトレーンの正規録音の音源の中では、個人的好みの中では最下位に属する『バラード』の《セイ・イット》が素晴らしく聴こえたことには少々驚いた。 ということは、 他にかかった新譜などの音源の内容が(あくまで私的な基準だが)相対的に低かった、ということに他ならない。 そして、やはり名盤には名盤と呼ばれるだけの理由と、音楽の「力」があるのだなぁということを改めて考えさせられた。 もちろん、出演者がかけた他の新譜の中には、イイものもあるにはあったけれども、でも、これらの「ちょっとイイ」音源は、コルトレーンの『バラード』のように40数年の時を超えて、生き残っているだろうか? そう考えると、残念なことに、その可能性は限りなく低いんじゃないかと感じざるをえなかった。 もっとも、それはあくまで私の個人的感触ね。 他の方はどう感じたのかはわからない。 ただ、ハイエンドオーディオ店のスピーカーから放たれる音は、残酷なまでに、 力のある音と、 力の無い音、 生き残る音、 残らない音の差を 歴然と提示していたように感じてならない。 アグレッシヴなコルトレーンの諸作品の中においては『バラード』というアルバムは、力強く前進を続けるタフガイが、兜の緒を緩めて小休止といった趣きのアルバムだ。 よって、このアルバムのテイストは、コルトレーンというテナーサックス奏者の一面を捉えたものには違いはないけれども、決して彼の音楽の本質ではない。 つまり、世評では代表作の1枚とカウントされるようだが、正確には「代表作」ではなく、「人気作」なのだ。 私は、この『バラード』というアルバムが長らく嫌いで、他のコルトレーンの作品に比べると、なんと女々しい作品よ、と思っていた。 女々しいだけではなく、コルトレーンのバラード表現は、非常に愚直で、タフな「シーツ・オブ・サウンズ」を吹きまくっていた大男が、一転して猫撫で声で囁いているかのようで、そのギャップに耐えられなかった。 テナーサックスなのに、まるでアルトサックスのような高い音域で吹いているところも、その感触に拍車をかけた。 「なんでもっと力強く吹けないのだろう?」と。 特にマッコイ・タイナーのピアノの伴奏がムード溢れる《セイ・イット》にそれを感じ、次曲の《あなたは恋を知らない》では、ライバルのテナー奏者、ソニー・ロリンズのバラード表現のほうが数枚上手だと感じていた。 しかも、これらの曲はバーやレストランでもウンザリするほどよく流れているので、あえて自宅では自主的に聴こうとは思えないアルバムだったのだ。 今となっては、そんなテナーサックスらしくない表現の中にも、コルトレーンはコルトレーンなりに、従来のコールマン・ホーキンスやベン・ウェブスターのような「ご立派な」テナーサックスによるバラード表現とはまったく違う境地を模索していたことが分かるし、恐る恐る吹いているように聴こえるのは、当時のコルトレーンのマウスピースが不調だったということを知り、ほんの少しだけ『バラード』に対しての視線が変わってきた。 そして、「レフィーノ アンド アネーロ」でかかった他のジャズ、たとえば寺島さんオススメのハリー・アレンなどよりも、コルトレーンの『バラード』のほうが素晴らしく聴こえてしまったのは、コルトレーンの諸作の中ではパワー弱めの『バラード』にすら、他のジャズは「表現の力」においては足元にも及ばないのだということをハッキリと認識出来たのだ。 寺島氏はコルトレーンよりも「テナーらしい音色」ということで、ハリー・アレンをぶつけてきたのだが、たしかに音色ひとつだけを取れば、寺島さんがかけたハリー・アレンの音のほうが、ずっと「テナーらしい」。 コルトレーンと対比させるために、音域低くテナーサックスそのものな音色で演奏された曲を選んでいるのだから、それは仕方のないことだ。 しかし「音色」の「らしい・らしくない」といった表層的な比較を超えて、こちらのマインドの奥底にまで「届く・届かない」でいえば、明らかにコルトレーンの女々しいはずのバラード表現のほうが、深く染みてくる。 そのことがハッキリしただけでも発見だったし、また私の中での『バラード』の位置づけが一段上がったのだ(相対的にだけど)。 今でも、私の中では『バラード』という作品はコルトレーンの作品の中では「甘口」かつ「軟派」なアルバムという位置づけは変わらない。 しかし、「名盤」として生き残り、聴き継がれているのには、それなりの理由がキチンとあったのだということを痛感した1日だった。 余談だが、現在、クリスタルCDの『バラード』が発売されている。 お値段にして、な、なんと20万円! いったい、どういう人が買ってるのでしょう?(※) クリスタルCDの『バラード』をお持ちの方がいらっしゃったら、是非感想をお伺いしたいです。 ※「どういう人が買っているのでしょう?」 さる情報筋によると、このような高額CDを買う人は、もちろん熱心なジャズorオーディオファンもいるが、中にはジャズファンとは限らない“富裕層”がパーティネタなどで買ってゆくこともあるのだという。 ほら、投資家や資産家って仲間同士が定期的に新しいピジンネスなどの情報交換も兼ねた集まりを催したりしているじゃないですか? その際に、「私、こんなCD買っちゃいました〜。なんと1枚20万円でした!」というサプライズネタにはピッタリなアイテム&値段のようなんですよ、クリスタルCDって。 |
| (2009/11/11) |
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